2014年4月2日水曜日

悲しみは人をより創造的にする




昨日4/1、 WIRED.JP にこんな記事が上がっていた。

人から「悲しみ」が失われている:デトロイトの人工知能学者が唱える仮説

中々面白い話で、なんとなく自分自身にも心当たりもあったりして興味深く読んだ。だが、文中最後のリンクの仕方、及びURLが aprilfool-2014 となっていることから察するにようはジョークというかウソの記事なのだと思う。(今見直したら【注意!掲載日とURLをご確認の上、お読みください】と記載されていた)。


翻訳記事のような体裁なので、一応原文を探してみたが見つからず、替わりに別な記事をみつけた。

Feeling Sad Makes Us More Creative(悲しみは人をより創造的にする)

2010年10月19日の記事なのでやや古いが、4/1ではないのでウソではなさそう。興味を持ったので読んでみた。

以下拙訳



悲しみは人をより創造的にする


何千年もの間、人々は悲しみと創造性とに関係があると考え続けてきた。それ故に、多少不幸な目にあった人(ヴァン・ゴッホや1965年のボブ・ディランヴァージニア・ウルフを考えてみて下さい)は特別に革新的にもなれるのだと考えられている。アリストテレスは紀元前4世紀にこのことについて言及している。「ソクラテスやプラトンも含め、哲学、詩作、芸術、政治といった分野に於いて高みに達する人々というのは憂いの性向を持っている。それは実際に幾度かの辛い経験を経てのことである」。この考えはルネッサンス期にもミルトンによって言及されている。ミルトンは自らの詩篇「Il Penseroso」の中で「讃えよ、神聖なる悲哀を その気高き姿が放つ輝きは 人間の視覚には眩しすぎるのだ」と詠う。この恋愛詩でミルトンは悲しみへの賛美を極めて論理的に捉え、人の一生に必要不可欠なものであることを描写している。キーツの記すところによれば「痛みや困難の世界によって人は知性を受け、精神を形造る、このことの必要性をおわかりでしょうか?」とのことである。


まあ、結局のところ「不安が創造力を掻き立てる」という常套句が正しいということである。コロンビアビジネススクールのモデュペ・アキノラ教授の論文「創造性の裏側:生物学的な脆弱で悲観的な感情による偉大な芸術的創造性の導出」での結論は少なくともそうだ。この論文における実験は極めて単純なもので、教授が被験者に彼らの夢の職業についての短いスピーチをするように求める。それを聴講する学生たちはスピーチに対してポジティブかネガティブな雰囲気を作るように予め決められている。笑顔と頷きの反応(ポジティブ)が得られる場合と、渋い顔と首を横に振る仕草の反応(ネガティブ)が得られる場合、というわけである。実施の後、スピーチを行った被験者はそれぞれノリと紙と色のついたフェルトを渡されてコラージュを作るように言われる。そのコラージュの出来をプロのアーティストが評価する。


同時に、アキノラ教授はDHEAS(デヒドロエピアンドロステロン)の計測も行っている。このホルモンは、ストレスにより分泌されるコルチゾールのようなホルモンの影響を鈍らせる作用がある。(以前ここで述べたように、鬱病は慢性的なストレスに密接に関係している。)これらのホルモンの化学的効果の影響は驚くべきことではない。DHEASが低レベルであることは不安定な躁鬱や悲しみの負の連鎖を導く感受性に影響する。実験で最終的に被験者は自身がどのような気分だったかについても尋ねられる、これによって実験を行った教授達は、被験者がどのような気分だったか、聴衆のスピーチに対する反応が被験者の感情の状態をどのように変化させたのかについて、主観的な感想と客観的な計測とを得たわけである。


ポジティブな反応が人を元気づけることになるのは当然のことだ、聴衆がスピーチの間笑顔で頷いている場合、被験者の気分はずっと良くなる。ネガティブな反応は逆の効果があるのも確かである。つまらない、これではこの記事が成り立たない。


面白い所はここからだ、スピーチにネガティブな反応をされた人はその後に作ったコラージュでより良いものを作ったというのだ、少なくともその時ポジティブな反応をされた人、若しくは何の反応もされなかった人と比較して。彼らのDHEASの値の低さが周囲の反応の悪さに対して特に脆弱な状態であることを示していた、それでいて最も創造的であったのだ。


何がこの相関性をもたらしているだろうか?何故悲壮な気分は私達を有能な芸術家にしてしまうのだろう?その回答は感情と認知の絡み合った本質に私達を引き戻すことになる。悲しい状態が私達を注意深くし細部に気が回るようにさせることは明らかで、先の実験に於けるフェルトのコラージュでよくわかるところだ。オーストラリアのニューサウスウェールズ大学の社会心理学者、ジョー・フォーガス教授はこの10年ネガティブな気分の驚くべき効果について調査を行っている。フォーガス教授によれば不安感、悲哀感は「厳しい状況に最適な対応をするための戦略的情報処理機能」を促進させるという。このことはフォーガス教授の次の実験で説明されている。憂鬱な気分の被験者(フォーガス教授が死とガンにつていの短い映像を見せた)は、曖昧な話の正確性を適切に判断することや過去に起きた出来事を思い出すことがよりよく出来る、また、見知らぬ人を先入観で判断することが減り、計算をさせても間違いが少なくなるという。


昨年からフォーガス教授は研究室ではなくオーストラリア、シドニー郊外の小さな文房具店での調査を指揮している。フォーガス教授は色々な物、例えば玩具の兵隊、プラスチックの動物、ミニカーのようなものをレジカウンターの近くに配置した。買い物客がお店を出る時にフォーガス教授は彼らの記憶を調査する、置いてあった物を覚えている限り挙げてもらうのだ。買い物客の気分の影響を測るために、フォーガス教授は曇りと雨の日にはヴェルディのレクイエムを鳴らして天候を強調させて沈んだ雰囲気を作る、そして晴れた日にはギルバート&サリバンのサウンドトラックを使った。結果は明らかなものだった。買い物客は「沈んだ気分」の状態の方がレジカウンター近くに配置された物を約4倍もよく覚えていた。悪天候が買い物客を悲しい気分にさせ、その悲しみの感情が彼らを注意深くしたのである。


この調査から得られる重要な要素は2つある。1つ目は束の間の気分は私達の思考法に変化を与えうるということ。悲しみが私達をより集中させ一生懸命にさせる、注意の焦点が研ぎ澄まされる。一方幸福はどうやら反対の効果があるようで、それ故に良い気分の時には20%超程度の注意力になったのだ。2つ目にわかったことは次のようなことだ。私達の創造的なチャレンジというものの多くは勤勉さ、根気良さ、集中力を要求される。優れたコラージュを作ったり、美しい詩を書くこと、難しい技術的問題を解決するようなことは簡単なことではない。それ故に、悲しみによって効率が良くなることがあるということだ。


最近のニューヨーク・タイムズ・マガジンの記事に鬱病についての進歩的な説明が言及されていたので、紹介しておきたい。
神経科学者のナンシー・アンデルセン教授によって行われた調査では、アイオワライターズワークショップに参加した何十人かの作家に彼らのこれまでの精神状態について話を聞いている。そのうち80%の作家が何らかの鬱病で正式な診断を受けていた。ジョンズ・ホプキンス大学の心理学者ケイ・レッドフィールド・ジャミソン教授が似たようなテーマでイギリスの作家や芸術家について伝記的研究を行っている。それによると成功した作家や芸術家は普通の人々に比べて8倍もの確率で鬱病を患っているのだという。

何故精神疾患は芸術的創造性にこうも関係が深いのだろう?アンデルセン教授は鬱病は「認知形式」を絡み合ったものにするので、そのことが芸術作品を作る仕事を成功させるのではないかと述べている。アンデルセン教授は、創造するという作業の中で「最も重要な資質は根気強さ」だと言う。先のアイオワの例を見ると「成功した作家の人は懸賞ボクサーのような人達で、何度打たれ続けてもへこたれない人達でした。それが正しいということになるまで、粘り強くそれを続けるのです」と語る。アンデルセン教授は、ロバート・ローウェル(アメリカの詩人)が鬱病を患い「天賦の才能」ではなくなったこと、彼の苦しみを逃れるためのリチウム依存についても描写している。そうした精神疾患の重い負荷は認識した上で、創造性が形になるということは絶え間ない集中が可能になることによってもたらされるのだと語る。「不幸なことに、そのような思考はしばしば精神疾患と隣合わせになっているのです。最先端にいるということは出血を伴うものなのです」。

(以上)

0 件のコメント:

コメントを投稿